吉村萬壱先生から『午前四時のブルー』Ⅲ号に掲載のエッセイ「もう一度、腕に火をーーマルグリット・デュラス「死の病い」」のご感想をいただきました。

 

大瀧智「もう一度、腕に火をーーマルグリット・デュラス「死の病」」を読んで  吉村萬壱

 

「テクストに出会うまで」に、書き手の身にただならぬ事態が起こっていた事が、全体を通して伝わってきます。「テクストに出会うまでの、自らを秘匿し屛息した年月」という削除された部分が、「テクストの抜粋と考察」および「テクストと出会い、読みはじめたわたし」の文章に覆い尽くされる事で却って、存在感を増して読み手の想像力を刺激します。

 それにしても、全体に漂う、良質の文章の香りが素晴らしいです。

 確かに、文体はまだ多分にデュラス(もしくは小林康夫の訳文)に拠っている印象ではあります。デュラス自身が語っているのではないかと思わせる箇所(p.107)もあります。それはそれで見事なのですが、この書き手にしかない独自の肉声を聞いてみたいという欲が、どうしても出てきます。この書き手はストイックにそれを閉じ込めています。この書き手が自分独自の語りを始めるのは、「自らを秘匿し屛息した年月」を物語り始める時であるのは疑いありません。何故ならその時、たとえ書き手が心酔するデュラスであっても、他人の言葉ではどうしても伝わらない固有のものが残るに違いないからです。

 優れた精神とシンクロし得た者のみが持つ、静謐な息遣いが感じられます。それは、デュラスに完全に同化した書き手が、やがて自らの言葉を携えてデュラスから離れていく事を予感させる静けさでもあるでしょう。